ハッピークリスマス
2013/12/24(Tue)
ハッピークリスマスですね。今年も一週間ちょいを残すばかりです。クリスマスがすんだら次は大晦日とお正月ですよ。年末年始はワクワクしますね。


どうも、ジャムです。


クリスマスなのでクリスマスの曲を弾いてみました。





バルトーク作曲、ルーマニアのクリスマスの歌第2集です。ちなみに去年のクリスマスには1集を弾いています。


閑話休題。


12月30日、冬のコミケにサークル参加します。スペースは東プ13bです。


東方projectのアレンジCDです。詳しくは特設サイトを御覧ください。


ご覧のとおり東方projectのアレンジCDです。四季折々の和歌とイラストを綴ったブックレットも付いています。


前々からイベントにサークル参加してみたいとは思っていましたが、遂に実現しましたね。主催のおおあめさん、本当にありがとうございました。


どうせ音楽CDを出すなら、ただ曲を並べるのではなくて何かテーマに沿ったものにしたいと思っていましたので、和歌と東方projectの掛け合わせに挑戦してみました。


ご存知の通り和歌については全くの素人です。そのくせこんなテーマにしたものですから、色々と勉強不足な点はあるでしょうが、最初から完璧な状態で何かを始める人などいないんだというポジティブ思考でやってみました。


というわけでコミケ2日目、ご用とお急ぎでない方は是非、東プ13bを覗いてやってください。

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音楽とは何ぞや
2013/12/09(Mon)
土曜日に更新したばかりですが、何となく書いてみたくなったことがあったので、自分のために書いてみました。








音楽でしか救われない人種がいるらしい。


別に音楽に限った話ではないが、みんながある段階で見切りをつけ、折り合いをつけて、世間でよくいわれている「普通」というものに落ち着いていく。「大人になる」ということかもしれない。
私自身も結構大人になったと思う。


けれどやっぱりそれでは駄目な人もいる。そんな人はとても生きづらいのかもしれない。
私はつらいことが大嫌いなので、そういった種の人間でなくて本当に良かったと思う。


でも、私の心の中に、そういった種の人間に対する拭いがたい憧れがあることを、私は知っている。
一切の妥協無く何かに殉じようとするその苛烈な信仰というか、純愛に、私も身を焦がしてみたいと思ったりもする。
幸か不幸か私には音楽以外にも好きなことがたくさんあり、それらに好き好んで接しながら生きているので、純愛とは程遠い生活を送っている。


それでも、希望的憶測で、もしかしたら自分も大人になりきれない不器用な、だけど純粋な人種かも知れないと夢想することがある。
恐らくそんなことを考えている時点で、そうした人種ではないのだろうけれど。


音楽でしか救われない人種がいる一方で、音楽が呪いになってしまっている人もいると思う。この2つの人種はとても似たように見える。
音楽が好きだということと、音楽が好きだと思い込むことの区別はすごく難しい。思うに、音楽に対する気迫の有無が見分けるポイントかも知れない。


私が今まで見てきた数少ないサンプルだけでは信憑性は皆無に等しいが、音楽が好きな人からはあまり気迫を感じない。逆に音楽が好きだと思い込んでいる人からは、並々ならぬ気迫を感じる。
後者の方が、音楽が呪いになってしまいやすいと思う。


私にとって音楽は純愛なのか、呪いなのか、未だに答えを得ていない。そもそも自分が音楽好きなのかですら、自信を持って返答できない。
もしかしたら、自分にとって音楽が何なのか、その答えを得てしまったらそれきりなのかもしれない。分からないからこそ、なんだかんだで音楽を続けてきたのかもしれない。ただ、音楽は現代に存在する数少ない魔法の一つだとは思う。


少し昔語りをすれば、私は以前ピアノの師匠を持っていた。その師匠は、私が就く以前には、有名な音楽大学でも教えたりしていたそうだが、私はその現場を見たことがない。
何にせよその師のもとで私なりに頑張っていたわけだが、その頃の私にとって、音楽とは常に劣等感と共にあった。


何しろ周りの門下生が皆優秀だったのだ。国内はおろか海外のコンクールに出ては賞をとってくるような人達に囲まれて劣等感を抱くなという方が無理がある。
落ちこぼれだった。劣等生だった。大体そんな門下生の中に、楽譜の読めない人間が混じっていることが摩訶不思議だった。
実際、師からも「今の君には何を言っても分からないから、好きに弾きな」と言われていた。


振り返ってみれば、そんな劣等感を抱きながらもピアノをやめなかったのは不思議なものである。
自分で言うのも何だが、当時の私は結構真面目だった。その方向性が正しかったかどうかは分からないが。
余談ではあるが、この劣等感は今でも持ち続けている。


そんなわけで、真面目に練習をしては劣等感とともにピアノを弾く日々が続いていたのだが、ある日私の師匠が亡くなった。


師匠は、いつか音楽の世界に自分の名を残したいと、プロとして至極まっとうな思いを胸に燃やしていたそうだが、その夢は残念ながら未完成のままとなった。或いは私が無知なだけで、音楽の専門家から見れば名を残すに値する業績があったのかもしれない。


ともかく、私なりに尊敬していた師匠が亡くなって、大袈裟ではあるが私の人生観が変わった。
簡単に言うならば、頑張る人生から頑張らない人生へと路線変更した。
手間暇かけて育てられた大輪のバラはもちろん美しいが、排気ガスでくすんだ街路樹の葉の揺れる様でも美しいと感じることができるんだと感じるようになった。


そんなこんなで師を失ってもだらだらとピアノを続けて今日に至るわけだが、時々、師匠が生きていてずっと師事し続けていたら、或いは私も音楽に対する純愛を得ていたのだろうか、それとも音楽が呪いになっていたのだろうかと考える。


師が亡くなる数ヶ月前に「そろそろ君も僕の言うことが分かるようになってきたから、来年辺りからは細かいこと言っていくよ」と言われた。褒められたことが無かった私にとって、その言葉はとても嬉しかった。師が私に一体どんなことを指摘するつもりだったのか、今となっては知る由もない。


音楽でしか救われない人種がいるらしい。
私はどうなのか。そうなりたい自分も、そうなりたくない自分もいる。ただ私には、ひとつはっきりと、なりたいものがある。


私は魔法使いになりたいんだ。


歴史に名を残さなくてもいい。褒められなくてもいい。私はわたしの体を使って、魔法を紡ぎだしてみたい。
師が残してくれた言葉の中でも、一番心に残っている言葉を大切に胸に抱きながら、私は半人前らしくゆっくりと、魔法使いへの道を歩いていく。


師匠が私に残してくれた言葉。


「僕はね、本当は音楽よりも餃子の方が好きなんだ」


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魔法使いの弟子
2013/12/07(Sat)
2013年も残すところ一ヶ月を切りました。時は加速するのです。


どうも、ジャムです。


ニコニコ動画にピアノ動画を投稿する以前から、誰かのレッスンを受けることはなくなっていたのですが、今日久方ぶりにレッスンを受けてきました。


と言っても、ピアノではなくティンホイッスルのレッスンです。ひょんなことから仲良くさせて頂いている民族音楽の先生からの紹介で、アイルランド音楽演奏家と知り合うことができたのです。その方の演奏会やワークショップに参加してレッスンをお願いしたのでした。


笛は初心者ですから簡単な曲から吹いていったのですが、私が今までメインでやってきたクラシックとは違った世界が待っていました。


一例を挙げるなら、普段曲を演奏する時はAというパート、Bというパートがあって、AABAの形式になっている。その中で一番の盛り上がりはどこだ。といった考え方をしていたのですが、AABAであってもどこが盛り上がりどころかは奏者も分からない。そもそも冒頭でAが2回続くということを悟ってはダメだ。といった具合です。


その時々の気分や雰囲気で曲の崩し方や盛り上がりも変わります。また、楽譜通りに演奏することもありません。楽譜には書かれていない、というよりも書くことができない様々な情報があり、それを師匠から見て聴いて真似をする、盗むといった具合です。


今回レッスンを受けた師匠も、アイルランドで地元のお百姓さんの演奏を聴きながらその音楽を身につけていったそうです。ただ、アイルランド音楽に出会う前は和楽器や西洋の古楽器を生業としていたようで、その知識や感性の引き出しが大盛りでした。


私があまり和声学などのアカデミックなことが分かっていない人間だったので、レッスンも見様見真似スタイルでしたが、人によってもレッスンスタイルが大きく変わるそうです。何がアイルランド音楽をアイルランド音楽だと感じさせているのか、音形や和声から方法論を教えることもできるそうです。


私が素人ながらに吹いた笛を聴いて、ドイツ式の歌いまわしに近いという指摘を受けました。実際に以前私が習っていた師匠はベートーヴェンの研究をされていた方でした。最後に習ったのはもう10年も前のことなのに、受けた教育はしっかりと体に染み付いていたようです。


そんなわけで今日の師匠は笛の吹き方や何気ない会話からあらゆる情報を読み取ることができる方で、とても刺激的な時間を過ごせました。


「君に笛の名人になってもらいたいわけでも、アイルランド音楽のマニアになってもらいたいわけでもない。ただ、何年か後に今日吹いた曲をまた吹いてみた時、曲だけじゃなくて今日のこの楽しい時間や空間が蘇って欲しい。そうなって欲しい」とおっしゃってました。


実際その師匠も曲を演奏する時は、アイルランドのなんでもないお百姓さんに曲を聴かせてもらった時や一緒に演奏していた時のことが蘇るそうです。


今後色々と世界が広がりそうなレッスンでした。以前教えを受けていた師匠から10年が経ち、教わる楽器も違いますが、再び師匠を得ることができました。
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